ORCA誕生の秘話                末光 清貞    日本医師会の開発による日医標準レセプトソフト、通称ORCAは2002年12月に無床診療 所版を、さらに2003年4月には入院版が正式に公開され、順調にそのプロジェクトは推 移しています。  私個人も2001年7月からの準試験運用からORCAを導入し、その後の本試験運用、さら に正式リリースと使い続けてきました。2002年の4月からは以前の他メーカーのレセコ ン使用を止め、ORCA1本で現在診療をしています。さすがに準試験運用時の初代のORCA は実用に耐えるものではなく、様々なバグを抱えており、それを一つ一つつぶしていっ た経緯があります。それはまさに忍耐の一言で、いつの日に実用に耐えるものになって くれるのか期待というよりも不安と不満が大きかったのも事実です。  実はORCAが誕生する前、それもまだ胎児として妊娠する前の状態で私は関わった経緯 があります。それは1995年、平成7年です。全国医療情報連絡者協議会という会議が松 山で開催されることになりました。その会議を開催する担当委員に任命され、あれこれ 目玉となるねたを探していました。時はまさにインターネットが大ブレークをする以前 の話です。タイミング的にインターネットをねたにするしかありません。幸いに県医師 会にインターネットサーバーを導入することができ、全国で始めて医師会としてインタ ーネットが導入されました。さらにその年、11月25日には国内でいっせいにWindows95 が発売され、誰でもインターネット利用が可能になったその直後、11月30日の全医協松 山会議のシンポジウムの場でした。  私は当時東京大学教授の開原先生と二人で座長を務めていました。主にインターネッ トの未来、将来についてのシンポジウムでしたが、フロアーからの質問で、日本医師会 はどうしてレセプトコンピュータを作らないのか、日医が作らないから値段は高いし、 点数改正のたびに高いお金がかかる、ぜひ作ってほしい、という意見が出ました。その シンポジウムには日医の本吉常任理事が出られており、私が司会者として早速意見を求 めました。本吉常任理事はその場で、よくわかりました、早速日医でレセコンを開発す べく検討します、というご返事でした。  私はこの出来事がORCA誕生の原点であると考えています。現実にはその後に日医総研 ができて、2000年にORCAプロジェクトは本格的に始動したわけです。その動機づけは公 表されていませんが、この全医協松山会議での出来事だと推察します。まだORCAが胎児 として妊娠する前の、まだお見合いをした段階、それ以前の話かも知れません。松山で その場に居合わせた人間、関係した人間としてORCAを愛し、また育てていくのが役目だ と自負しています。  ORCAは単なるレセコンと言うより将来は総合的な医院、診療所の情報中核になってい くと期待しています。近々保険証はカード化されますが、そのカードの中のデータを読 み取ります。さらに電子カルテと連動して様々な処理を行います。レセ電算システムと して紙レセではなくデータとして基金や国保連合会へデータを送ります。窓口ではキャ ッシュレスでクレジットカードやデビットカードと連動します。毎日日医の電算センタ ーと通信をしてニュースを取り込んだり、プログラムを最新のバージョンに自動でアッ プグレードします。  ORCAがもっと進歩し使いやすくなるためには1台でも多くのORCAが現場で働いて、そ のノウハウを蓄積しフィードバックしていくことだと思います。ぜひともORCA採用をお 願いしたいところです。 2004年7月記