2009 蒲谷敏彦CHINA REPOR 
蒲谷敏彦
(ぶたに・としひこ)

 今年4月から3度目の海外勤務。中国蘇州に赴任したビシネスマンの中国レポート。駐在員ならではの現地レポート。
松山では、MPRO、シンシアに乗るヨットマン



蘇州 Map


中国 Map


 

CHINA REPORT 2009

―― 想い出の2008年 (その2) ――

 

 こちら蘇州に来てもう丸4年近くなるので最初に買った携帯電話も老朽化したみたいで、左上のボタンの接触が悪くなってきました。そこで思い切って新しいノキアの携帯電話を買いました。別に面白い新機能が付いている訳ではありませんが、液晶画面がそれなりに綺麗です。待ち受け画面に2008年にデジカメで撮った一番のお気に入り写真を貼り付けています。今日はそのお話をしましょう。

 

           

            新しいノキアの携帯電話

 

 一昨年(2007)の夏、一緒にハワイという名の屋外プールに遊びに行った当社の社員が今度は彼の実家に来ないかと云う。聞いたところ、半年前に生まれた彼の第一子を初めて連れて帰ってご両親に見せるというし、何より彼のお父さんが造った米酒が五斗もあって熟成が進んで早く飲まないと美味しくなくなるのだという。といっても私たち二人が応援に行ったところで、そんなには飲めないけど・・・

 

風薫る早朝の蘇州から彼と彼の奥さんと可愛い息子ルンルンちゃんと一緒に高速バスに乗って8時間、大きな街でタクシーに乗り換えて1時間、小さな町でレンタルした3輪自動車に乗って小1時間、夕闇迫る頃やっと彼の村に着きました。そこは江西省の外れの山の麓にある人口500人くらいの農村で、住んでいる人はみんな彼の名前の羅さんばかりです。隣村は金さんでその隣は朴さんばかりという田舎です。お嫁さんをもらうときは山を越えた向こう村からとか。

 

早速、彼が中学生まで過ごした小さな村を案内してくれます。昔どおりの瓦葺の田舎造りの平家と新しく建て直した3階立てコンクリート造りの家(彼の家も)が混在しています。彼が小さい頃登って遊んだ村一番の大きな銀杏の木を紹介してくれました。牛や山羊や鶏、犬がそれぞれの家の庭で鳴いていて、近くの小川ではどこかの奥さんが洗い物をしてて、棚田ではちょうど田植えの準備中のようで遅くまでお父さんが働いています。

 

 

             羅村の田植え風景

 

お母さんは台所のカマドに薪をくめて夕餉の支度をしてくれています。そしてとっぷり日が暮れた頃、野良仕事から帰ってきた皆いい色に焼けたお父さんとその兄弟のお隣やそのまたお隣に居る親戚(全員親戚の村だけど)が、たぶん(きっと)この村に来た初めての日本人(きっと初めての外国人)を冷やかし半分でもないのでしょうが興味津々で、いつも息子がお世話になっています、いえいえこちらこそ、と外交辞令もそこそこに大宴会が始まるのでした。

 

男性が12人、女性が92歳のおばあちゃんを筆頭に5人、お姉さんの子供たちやどこの子供か知らないけど5,6人、料理がいっぱい載った小さな机を囲みます。もちろん全員が座れないのでどこそこで勝手に食べています。お母さん得意の豚まんやチャーシュー、鶏肉、山菜料理が並べられています。どれも初めて食べるものばかりですが、中国料理特有の油ぽくなくて田舎料理ですが美味しいのです。私たちのために買ってくれたビールを除けばこの村(彼の家)で取れる食材で出来ています。車やバイクや電球を除けば自給自足の生活ができるようです。

 

生ぬるいビールはそこそこにして、五斗はあるというお父さん自家製の米酒(どぶろくを上品にしたような味がした)を村人一人一人と注ぎつ注がれつして、多勢に無勢でどうみてもこちらの分が悪くて、酔ってる上に訳の分からない中国じゃんけん(二人同時に出した右手の指の数を足した数を当てるゲーム。日本でもあったような気がしますが、それを中国語で一瞬に大声で言わなくてはなりません。なにせこちらは素面のときでも指折り数えないと中国語で数が数えられないので、最後のほうは私は六つ(リュー)しか叫ばなくなりました)をさせられて、それに負ける度にまた飲まされて・・・ 

 

 

              観光竹筏と羅君

 

ベロンベロンになる一歩手前でがんばっていると、

『明日はオレんところの山羊をつぶして山羊鍋をしよう』

お隣のおじさんが提案してくれましたが、

『明日は武夷山に行くので今度にしましょう』

と、断ると

『じゃあ、明後日はどうだ?』

『でも、田植えや何やかやでお忙しいでしょうに』

おじさんはよ〜く聞けよお若いの、とでも言い出さんばかりに

『俺たちは農民だ。晴れたら野良仕事。雨が降れば休む。したいときに仕事をして、したいときに遊ぶ。こんなに遠くから来た客人に山羊鍋をご馳走するのに、出来ない日があるものか!』

そうだろう客人! その通りです。私もサラリーマンでなかったらそんな生活をしてみたいです、とは言いませんでしたが正直そうは思いました。

 

 武夷山は中国の5大名山に入る由緒ある連峰ですが、その麓を流れる九曲渓がまた有名です。渓谷を八曲がり九曲がりして観光竹筏で下ることができます。家内はこれに乗りたくて武夷山まで来たといっても過言ではないくらいでした。翌日その観光筏乗り場まで来たのですが、予約客でいっぱいでどうも乗れそうにありません。大体どこで乗船?券を買うのか(売り場はあるのだけれど団体客しか相手にしてくれない)も分からない状態で、3時間ほど様子を見ながら待ちましたが、どうにもなりそうにないので結局諦めました。

 

諦めて九曲渓の川岸の遊歩道を、観光竹筏が次々と隊列を組んで下ってゆくのを見ながら恨めしそうに歩いていると、目の前に停まった青いトラックの荷台から、麦わら帽子に頬かむりのおばさんたちが次々と降りてきます。見ていると、岸のこちらの観光用でなく業務用の竹筏に乗り込んで向こう岸に渡るようです。声をかけてみると、ここ武夷山は大紅包という名のお茶が有名(その昔は皇帝しか飲めなった銘茶)なのですが、その茶畑に隣の省から出稼ぎに来ている茶摘のおばさんたちでした。

 

竹筏と同じように年季の入った船頭さんが竹を上手に操って観光竹筏を避けながら向こう岸に着けてはこちらに帰ってきます。ものは相談だが、私たちも向こう岸に渡してもらえないか? そりゃ仕事だからお金をもらえば渡すよ、ということで茶摘おばさんの後について乗せてもらいました。河の水は冷たくもなく暑くもなくちょうどいい感じ、川風も頬に気持ちがいいです。観光竹筏の乗客たちがもの珍しそうにこちらの筏を見ては流れ去ります。

 

  

         業務用の竹筏に乗って船頭さんと

 

日照時間と霧が微妙に美味しいお茶葉を作るのだそうで、この岩山の麓から中腹までずっと見渡す限り茶畑が続いています。おばちゃんやおじさんが黙々と山奥の茶畑に向かって歩いてゆきます。飲み水の入ったヤカンと茶摘のかごと竹の天秤棒と近代的な茶刈器械(日本製だった)を抱えて、大きな木の下で一休みしています。後ろには武夷山連峰、手前は一面の茶畑。一幅の名画を見るようです。それはデジカメに納まり、今は私の携帯電話で、まあゆっくりしてゆけよ、とばかりに一休みです。

 

 

              武夷山の茶畑にて

 

そしてその翌日、約束どおり本当に私たちのために用意してくれた出来立ての山羊鍋(唐辛子と山椒を山のように入れたホットな味でした)を囲んで、羅村の共産党副書記長までお出ましての村の大宴会が開かれました。中国人は食べかすを机の下に平気で落とすから不潔だという人がいますが、ここでは山羊の骨などを床に落とすと机の下ではいつも犬が待機していて、すぐに咥えていって綺麗にします。足にまた犬が当たると思っていると、小さな子供だったりもします(骨を咥えていったりはしません)・・・ 

予約してなかったので憧れの観光竹筏には乗れなかったけれど、大変貴重な体験をした2008年労働節( 5月連休)なのでした。

 

 

          おまけ:机の下の犬と子供たち

 

               ・・・想い出の2008年 (その3)に続く

第13回:

 
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