蒲谷敏彦KOREA REPORT  10月号-4 

       KOREA REPORT (釜山アジア大会観戦記−−後編−−)

        −−−− さようなら 釜山 −−−−       

 

 ノーベル賞を受賞した田中さんも、24年ぶりに帰国した拉致被害者の

5人の方々もお里帰りで、日本は盆と正月が一緒に来たような大騒ぎの様子。

『できるだけ、ゆっくりさせてあげたい』

と、周りが言っているのまで同じなんだけど、全然ゆっくりさせていない。

 

それぞれの方の家族やら、親戚やら友人、恩師まですっかり何だか知人のように

分かってしまって親近感が沸いてきた。

私も久し振りに小学校や中学校の同級生に会ってみたら、どうだろうとも思う。

韓国生活の話で盛り上がるだろうか?

別に朝鮮半島帰りでなくても、日本全国で同窓会が流行るんじゃないだろうか?

 

 釜山アジア大会は、長嶋前監督の妙にハイな解説の閉会式で

終わり、北朝鮮美女応援団も宿泊していた客船『万景峰92号』で

帰ってしまいましたが、KOREA REPORTは風待ちのままでしたね。

ご興味は薄らいでいるでしょうが、話をほんの数週間前に戻しましょう。

 


 

釜山ヨットハーバーを出港する運営艇とレース艇

 

 ...ウン? いつの間にか釜山ヨットハーバーの藤棚の下で寝込んでいました。

風は海風に変って、いい風が吹いています。ポールの回答旗ももう降りています。

マーク打ちのボートや監視船などの運営艇が次々と出港して行きます。

今からホントに1時間後にレース? レース艇がスロープから一斉に出艇して行きます。

470、OPディンギー、エンタープライズ、レーザー、はたまたウインドサーフィン

まで。ハーバーはものすごい混雑です。

 

観覧船は4隻の海軍警備艇で、北条鹿島の渡し船を2周り大きくしたぐらいです。

それぞれの水域別に1列に並んで、ライフジャケットを着ます。

『こんなの着たくない!』

『ダメです。規則ですから』

観客のアジョシ(おじさん)とボランティアのアジュマ(おばさん)が口論しています。

観覧申し込み書を渡して人数確認しているのに、こっちの方が面白そうと、

勝手に別の水域行きの船に乗ったりして、また人数が合わないとボランティアが

右往左往しています。

 

出港間際に10人くらいの集団が乗ってきました。それもライフジャケット無しで。

さっきの口論は何だったんだ?

警備艇の船内にはステンの流し台にカセットコンロ、冷蔵庫が装備されています。

ここで、キムチ鍋つついて冷やしたジンロー(焼酎)を飲むんだろうな。

救命胴衣を窮屈そうに着込んだお爺さんとお婆さんが座っておられます。

『釜山に住んで30年だけど、海から釜山を見るのは初めてなのよ』

お婆さんはとても嬉しそうです。

 

風はだんだん上がってきているようです。波も出てきました。

沖に30分ほど走ると、A水域のOPディンギーが見えてきます。

C水域はもっと沖です。水深40mくらいだそうです

470級のコースは、オリンピックコースで3角形に設置しているマークブイを2周

半します。

 


                   遥かむこうの470級のスタート

 

スタートライン近くに到着すると、もう470級男子はスタートのようです。

観覧船は470級8艇が遠くに見えるところで船速を落としました。前甲板に皆出てきて、

記念写真を撮ったり、昨日のレースは中国が1位で2位は韓国だったとか言ってます。

結構、船が揺れるので立っているだけで疲れます。

 

8艇の男子470級はスターボード(風を右舷受け)で綺麗にスタートすると、全艇

漸次ポート(風を左舷受け)にタッキング(風上への方向転換)して、

クルーをトラッピーズに載せて霧の中に消えて行きました。

 

10分ごとに470級女子、420級男子、420級女子、エンタープライズ級がス

タートしてゆきます。

遅れて救命胴衣無しで乗ってきたのは、ハンナラ党(年末の大統領選で1番人気、李

会昌(イ・フェジャン)氏が候補者です)の応援団でした。

 

『ヨットの応援にゆきましょうよと誘ったのに、皆デパートに行っちゃって、やあねぇ』

釜山は今年再開発ブームで、新しいデパートが次々と開店しています。

サングラスをかけた上品なご婦人は憤慨していました。

ご婦人方はヨット応援(メインセールやスピンセール)より、やはりデパートの

開店セールでしょ、そりゃ。

 

下マークに近づくと早くも男子470級が順次回航して行きます。スピンセール(風下

航行用の風船のような専用セール)を降ろして、また風上のマークに向かって行きます。

『あんなにマークと離れて廻るとダメなんだ』

韓国人のおじさんが解説しています。

残念ながらどれが日本艇で、韓国艇なのか? よく判りません。

1〜3位の中にはいるようです。

 

と、思っているともう、中に入れと警備艇のスタッフが言っています。

船内に入ると、30年で初めて海から陸地を見たというお婆さんが

すっかり船酔いで横になっておられます。

そばでお爺さんが心配そうに手を握っていました。

観覧船は、港に帰るようです。私はもう少しレースの展開やフィニッシュの様子を

見てみたかったのですが、他の観覧客はすっかり興奮も冷め、興味も無くなった

みたいです。この辺が潮時でしょう。

 

半日風待ちして、観覧船で30分レース海面に航行して、30分だけレース観戦、

30分かけて帰港のヨットレース観戦はやはり、面白くないでしょう?

ヨットをしていた私でも面白くないんだから、一般の人には無理ですよね。

小松監督が出てきて解説するとか、何かないかなぁ、面白いヨット観戦の法則。

 

釜山アジア大会ヨット競技では、韓国が金6つ、中国も金6つ、

日本は少年OPディンギーの金1個でした。

いつの間に中国や韓国がヨットでも強くなったんだろう?

ハーバーに沢山クルーザーが無くても、レースには勝てる。

ヨット界でもアジアの覇者は、中国や韓国になってきているようです。

 

 

 『イラン人ですか?』

馬山競技場に行ってくれとタクシーに乗り込むと、運転手さんに

そう聞かれてしまいました。昨日、一日屋外で風待ちして海にも

出たので、顔は赤く焼けて自慢のサングラスをかけた姿はイラン人?に

見えたのかも知れません。馬山競技場では午後4時からサッカー予選リーグ

のイランVSカタール戦が、7時からは日本VSウズベキスタン戦があります。

タクシーは昌原(チャンウォン)の高速バスターミナル前から20分で馬山(マサン)

の総合競技場に到着しました。

 

スタンドに入ると、チャチャッチャ、チャンチャン、イラン!!と鐘や太鼓の応援で

盛り上がっています。イラン対カタールは前半1:1です。

観客は皆、キムパプ(巻き寿司)やカップラーメンを食べながらここでも

町内運動会のノリです。

ハーフタイムに売店でビールとカッパエビセン(こちらではセウカン)

を買っていると、スタジアムの外にウズベキスタンの大応援団がバスから

降りてきました。その数300人以上! ウズベキスタンってそんなに

応援団用意してたっけ?

 


ウズベキスタンを応援する工員さんたち

 

ウズベキスタンはカザフスタンなどと同じ、中央アジア中部の旧ソ連邦から

分離独立した共和国で、人口1800万人あまり、国土面積44.7万平方キロ

(日本より広い!)、首都はタシケントです。綿花栽培が盛んだといいます。

急速に工業も発展しているようで、当社韓国ミウラからも来月、産業用ボイラが

3台輸出されます。アジア大会の成績も優秀で金メダル獲得数は、カザフスタン

についで5位(15個)でした。

 

濃いい顔立ちのウズベキスタンの人たち。黒い髪に濃い眉毛、高い鼻、

中には金髪の方もいます。手に手にコーラ(コーランでなく)とカッパエビセン! 

イスラムの国ですから、ビールはダメなんでしょうね。

灰色のユニフォームには UZ DAEWOO MOTOR(ウズベキスタン・大宇自動車)

とあります。この大応援団は工員の方々だったのです。

 

韓国3大自動車会社のひとつであった、大宇自動車もIMF時代に経営危機となり、

2000年末に倒産、この4月にGMに売却されることになりました。

でも、ウズベキスタンに韓国の自動車工場がある時代なんですね。

工員研修か、それともウズベキスタンの安い?労働力を使っての昌原工場での

自動車生産なのか? 私も製造業者の一員として、この辺には興味津々ですが...

 

そんなこととは関係なくウズベキスタン応援団は、韓国アジュマが白いハンボク

(韓国服)で鐘や太鼓を鳴らして賑やかです。

青いユニフォームを着た日本応援団も到着しました。日本人の娘さんは人気があります。

妙な声を掛けられています。イラン対カタールは平凡に1:1のままで

終了して、いよいよウズベキスタンが黄色いユニフォーム姿で入場してきました。

 

『ウォー!!! ウーズ、ベキィ、スタン、ゴー、ゴー、ゴー』

大変な喚声です。これでは日本は敵地と同じです。

日本人応援団と韓国人の日本応援団もゴール裏に陣取っていますが、

バックスタンドに陣取っているウズベキスタン工員応援団と韓国人の

ウズベキスタン贔屓には敵いません。

(数えてみたらスタンドに日の丸6本、ウズベキスタン国旗12本です。それも大きい。)

 

私たちはそのウズベキスタン工員応援団の端っこでまたまた、小さくなっていました。

そして、いつのまにか私たちの座席の前列には警察官が2人座っています。

これは私たちをマークしているのか、それともガードしているのか?

まあ、どちらにしてもウズベキスタンばかりの中にあって、少し安心です。

それぞれの国歌演奏のあと、記念写真を撮って、さあキックオフです。

今回の日本チームはU-21(アンダー21、21歳以下のチーム)でひ弱だというのが、

こちらでも評判です。ヨジャカテ(女の子みたいだ)と隣の韓国人が言っています。

 

『ウーズ、ベキィ、スタン!』

『ニッポン、ニッポン!』

大応援合戦になりました。

韓国人の日本応援団と日本人の日本応援団は、ばらばらに応援しています。

(当たり前か?)というより、韓国人の応援に日本人がついて行けない感じです。

その点、ウズベキスタンの応援は力が入っています。遅れて到着した、

韓国人工場長?がウズベキスタン工員に拡声器を向けて、ハッパをかけています。

『イルボン チョーラ (日本 負けろ)』

韓国の中学生から声がかかります。日本選手がボールを持つとブーイングが

起こります。やはりここは敵地です。

 

ひときわブーイングがひどくなった、前半39分。日本はPKを与えられます。

中山が落ち着いて決めて、1:0、立ちすくむ工員たち。バックスタンドが静まりかえり、

日本応援だけが馬山の夜空に立ち上ります。

後半は、韓国人と日本人の合同応援も調子よくなり(というより、日本人が元気になって

韓国人のペースに乗ってきた)、グラウンドの日本選手のドリブル突破も冴えてきました。

前の座席の警察官が3人に増えました。ますます危険な状況なのでしょうか?

 

後半は両チームともに無得点で、あっけなく日本が勝ちました。

ウズベキスタン工員達は少し残念そうでしたが、トラブルも無く静かにまたバスに乗って

帰ってゆきました。私たちはタクシーを拾うのに40分もかかってしまった以外は、

不快なことも危険なことも無く昌原のホテルに到着して、遅い夕食を取りました。

 

 

 『あぁ 審判がぁぁぁ〜 なんということでしょう!』

イランのゴール前で松井が蹴ろうとしたら、審判がじゃまになって...

NHKのアナウンサーが絶叫し、解説の岡田元監督が静かに悔しがりました。

またまた、93年ドーハの悲劇で有名なW杯アジア予選敗退を思い出しました。

日本VSイランのサッカー決勝戦は後半イランに2点を入れられ、1点中山が

返したもののそこで力尽きてしまいました。

 

サッカーW杯のトルコ戦のように韓国もイランに負け、日本もイランに負けてしまいました。

イランが金、日本が銀、韓国は銅メダルに終わりました。

(イランは強いんですね。アジア大会2連覇だそうです。)

宿命の3つ巴、日本対韓国対北朝鮮の対決も見られませんでした。

次回持ち越しということでしょうか?

 

釜山アジア大会も終わってしまいました。閉会式が行われた14日に、

北朝鮮選手団・応援団の警備対策統括をしていた担当警察官が突然倒れ、

意識が戻らないまま病院で死亡したそうです。過労死だったようです。

ずいぶん疲れたんでしょうね。

 

いろいろあった釜山アジア大会。そして、アジアではテロ事件が続発しています。

これからも日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インド、パキスタン、

アフガニスタン、イラン、イラク、パレスチナを抱えるアジアではまだまだ、

いろいろありそうです。

いいことがあると良いんですが...

今回のKOREA REPORTもずいぶん長くなりました。

ではまた、次回お話しましょう。 (はぁっ 疲れた。)

 

                          ソウルより 蒲谷敏彦


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