蒲谷敏彦Narrowな旅日記  
                 Narrowな旅日記(3)

         ―― ナローボートのショック ――


09.Sep.2003

Dear My friend

 

 二人とも50歳近いというのに、普段の日曜日の朝は10時まででも寝ていられるのに、今朝は枕が違うからか時差ボケのためか6時前から起きてそわそわしていました。前夜あつこさんとは8時30分朝食、9時に離岸しようと予定していましたが、とてもじっとしていられなくて、二人でそっとボートを抜け出してみました。

 

夜のうち降っていた雨もあがり、運河は朝靄の中静かに佇んでいます。鳥の鳴き声、羊の鳴き声、遠くに列車の通る音が聞こえてきます。運河沿いのトゥパスを歩いてみました。運河を渡る小さな橋が見えます。橋脚はレンガで出来ていて本体は木造です。橋の中央は跳ね橋でもないのに、分かれています。これは当時馬で引くナローボートとのロープをいちいち外さないで、簡便に通すためだったそうです。

 

散歩から帰って、あつこさんが用意してくれたボリュームたっぷりのイングリッシュ・ブレックファーストでお腹いっぱいになり、ミルクティーで更にお腹がタップンタップンになって、ウィルさんからせかされてボートが岸を離れたのは、9時を少し廻っていました。

 

ワーリックから北上してきたグランド・ユニオン運河は、ロンドンとバーミンガムを結ぶ往時の経済の大パイプラインで、泊地からほどなく航くとキングス・ウッド・ジャンクションというところで、いよいよストラトフォード運河に繋がります。この地域だけ並行に走っている両運河の間に接続用運河が建設されていて、H型になっています。

 


            早朝の泊地 寝ぼけている家内

 

四方から集まってきたナローボートで、ボートの銀座通りのようになっています。ここで水の補給をするので1時間ばかり自由時間です。ここもロックが連続していて上がるボート、下がるボート、ロックに入るボート、待機しているボートが犇めき合っています。運河の『高速道路休憩所』みたいなところですから、運河グッズのお土産屋さんもあります。運河地図が欲しかったので早速陸にあがると、ボーター(ボート乗り)達はきさくな人々で、

『へロー どう?楽しんでる?』

『グッドモーニング どこから来た?』

 

誰彼なく話し掛けてきます。どこから来たかと聞かれて、最初はバカ正直に日本からだけど今はソウルに住んでる、なんて答えていたけど、本当はワーリックからハットン21連続ロックをやって来た、と答えるのが正解らしい。日本から来ようがソウルから来ようがボーター達にはどうでも良いことで、どこの運河からどこの運河に航こうとしているのか? 何か面白いことがあったか? それが話したいようです。まあその為に皆ボート乗ってんだから。

 

ワーリックから来たと言うと、じゃあワーリック城は行ったかと言われ、残念ながら時間がなくて(これは本当。サンゲタン持ってうろうろしてたから)行けなかったと答えると、自分のボートの中に入ってワーリック城のパンフレットを出してきて、中世の鎧や貴族の豪勢なお城生活が見えるし、ショーまであると説明してくれました。ロックを上って航く老夫婦お二人のボートがあったので、昨日取った杵柄で今朝はもう偉そうにロックの開閉などを手伝ってあげたら、少しこのボートに乗ってゆけと言われ、厚かましくもロック2つ航く間同乗させてもらいました。そんなこんなで、1時間の自由時間を随分超過してウォーキーズ号に帰って来たときには、あつこさんとウィルさんで900リッターの水を満タンにしてロック一つを降りた後でした。

 


            森の中を航くウォーキーズ号

 

『疲れを知らない子供のように

時が二人を追いこしてゆく

呼び戻すことができるなら

僕は何を惜しむだろう

―― シクラメンのかほり  小椋佳作詞作曲 ――』

 

ストラトフォード運河は1816年に開設され、主に石炭の運搬に利用されました。鉄道も道路も整備されていなかった当時は産業革命で大発展を遂げた英国にあって、輸送の主役はナローボートが務めていました。家族でナローボートに住み込みボートのほとんどの部分を船倉にして、一家は後部の今機関室にしている小さな部屋で暮らしていました。ロックの開閉は子供の役目だったそうで、親父は船の操船、お母さんは炊事と決まっていました。そんな家族の職場も運河に並行するように建設されてゆく鉄道(最初の鉄道は1825年)に奪われてゆきました。

 

『運河をはじめとする水路が、物流の役割を鉄道や道路に譲り、・・・・(中略)・・・・ どんなにあがいたところで、ボートが鉄道や道路に勝てるわけはない。しかしここからが、まさに“イギリスらしい”のである。1960年代に入ると、戦争で荒廃していたイギリスの人々の間に心の余裕が生まれてきた。そこでいったんは廃棄された運河にレジャー用ボートを浮かべ、旅をすることができないだろうか、という気運が高まってきたのだ。その熱意がブリティッシュ・ウォーター・ウェイズ(イギリス水路委員会)を動かし、次々とレストア(修復)がはじまる。

―― 英国運河の旅  秋山岳志著 彩流社刊 ―― 』

 

この本には、日本人が経営するボート『キャプテン・プーク』の章であつこさんご夫妻のナローボートへの情熱が熱く語られています。また著者秋山氏のホームページ

Canal Mania  http://www.h4.dion.ne.jp/~canal/ )

では熱狂的な運河の旅が紹介されていますので、ご興味がある方は是非お立ち寄りください。

さて、小椋佳氏が数年前に英国運河取材でウォーキーズ号に乗船されたときには、運河をゆっくり進むボートの屋根の上にあがって詩を作っておられたとか...

 

私も深い森の中を航くボートに乗って読書をしたり午後の紅茶をするなど心静かな刻を過ごすことに憧れて、黒い手提げにサンゲタンとガイドブック以外に5冊の本を持ってここまで来たのですが、夢と現実はいつも違うものです。昨日の昼は連続ロック・ワーク、夜はパブでしこたまお酒を飲んで、読書をするゆとりはありませんでした。今日は、あつこさんにティラー(舵)を持ってみますか?と言われて、ヨットのティラーは嫌というほど持ってきた私は喜んで、真鋳の犬の飾りが付いた舵を握るのでした。

 

しかし世の中、見るとするのも大概大きな違いがあるものです。昨日のグランド・ユニオン運河のロックは2隻同時に入るものでしたが、このストラトフォード運河は1隻用のロックです。単に森の中の運河を岸に沿って航しらせている時は良いのですが、この狭いロックに入るとなるとボートとロックの両舷それぞれの隙間は、掌を広げた親指と中指の先ほどもありません。そこへデッドスロー(死にそうに遅い速度)で全長20mもあるボートを入れてゆくのですから、ぶつからない方が奇跡みたいなもので、200年近く前に出来た国宝とまではいいませんが、名所旧跡のロックに鉄製のボートをぶつける時の申し訳なさは... 京都の三十三間堂の通し矢で初心者がお堂に矢を突き立てるような気持ちといい表せば良いでしょうか。

 

そのロックが今日は18も続きますから、連続車庫入れ、連続縦列駐車、ロックをボートが擦るときはガードレールに車の横腹をこすりながら走っているようで、いくら船足が遅いといっても気持ちのいいものではありません。ましてや、対向してくるボートがあったり(運河は2隻がやっとの狭い河幅なので岸に寄らないと行き違えないが、余り岸によると座礁の危険もある)、ロックの前で他のボートを待ったり(停船すると風であらぬ方向に船が流されたりする)、ロックを出たとたんに対向船がいたり(ホントにぶつけた)すると冷や汗が出ます。

 


             ウィルさんの指導でロックへ

 

小心者の私があんまり青い顔で操船しているものですから、見かねたウィルさんが丁寧に指導してくれました。

『ゴー・ストレート(まっすぐ行け、ふらふらするな)

コンセントレーション&リラックス(精神集中とリラックス)

フォーカス・ワン・ポイント(一点を見ろ)』

 

簡単そうにみえる時速3マイル(約時速5キロ)のナローボートの操船でも、野球やゴルフに劣らず意味深長な極意があるものです。ウィルさんの手ほどきが良かったのか、2度ほどはロックの岸壁に全く接触しないで(ノータッチ)入船することが出来ました。静かに音もなくスムーズにロックに入ることをグリースト・インというらしいのですが、あつこさんとウィルさんがコングラチュレーションと祝ってくれました。(もちろんウィルさんは右手のグーの親指をあげながら)

 

その後、今度は家内がナローボート操船の難しさを、橋(の下も1隻が通過できるギリギリの幅しか空いていない)を相手に充分体感して、ウィルさんに同じ操船指導を受けたのでした。二人で操船デッキに立ってなかなか難しいねなどと話していると、行き交うボートの操舵は大抵お爺さんかお婆さんで、へロー、良いお天気ねぇ、なんて挨拶されながら行き違います。こちらは向こうのボートに当てないように顔を引きつらせて操船していて、挨拶の笑顔も凍りそうです。これは経験の違いなのか、性格の違いなのか、人種の違いなのかと二人して思うのでした。

 

今夕の泊地はWoottonWawenという、ナローボートのハーバーでハイヤー(レンタル)ボート会社とNavigation Innというパブがあるところです。もう他のボートが何隻か停泊しています。夕食には少し時間があるので、あつこさんはノートパソコンを出してきて、旦那さんとメール交換したり仕事のメール打ち、ウィルさんはベッドで一眠り、私達はハーバーを探検に行きました。

 


            WoottonWawenの泊地

 

『(日本の)ヨット乗りは一生のうち両手ほども船を当てません』

だから、今日は私の半生をかけたスキッパーのプライドがズタズタなのです。Navigation Innでエール・ビールの1パイントグラスを傾けながら、今日の感想を発表しました。ウィルさんは、スキッパー初日にしてはうまかったよ、と慰めてくれるのですが粉々になった私の自尊心はレストア(修復)しません。

 

夕食にチキン・パイ包みをオーダーすると、ポテトはどうするかと言う。フライド・ポテトか、ベイクド・ポテト、XXX(忘れた)・ポテトを選ぶそうな。どれも同じポテトじゃないか、好きなのにしてくれ、とはいかない。イングリッシュ・ブレックファーストのときには、これに卵はどうするか(サニーサイドか、スクランブルか、ボイルドか)、パンは何にするか(白パンか、黒パンか)、紅茶の銘柄はどうするか(アーリーグレイくらいしか知らん)、ティーはミルクにするか、レモン・ティーにするか(もちろん英国伝統ミルクティーと答えなければなりません)など色々聞かれます。こんなときは、さもあらん顔で悠長にお応えしなければなりません。なにしろ、

『誠実、慈愛、自由、勇気。これらの4つの徳目のうち、3つを欠いたら紳士と呼べぬ』

というお国柄ですから、選択の自由と的確な選択を要求されます。優柔不断な人は、朝の食事の選択だけで30分くらい掛かるかも。

 

お酒談議になると、どの国も同じで興が乗ります。韓国ではソジュ(焼酎)とビールを混ぜて飲むと爆弾酒といい、ビールジョッキにウイスキーをストレートグラスに入れて沈めるとタイタニックといいます、と言うと、ウィルさんがそれは英国にもある、飲んだ後カラカラと空いたグラスを鳴らすんだ、と応えます。今からそれを試してみるか? いやいや、止めておきましょう、船が沈むと困ります。

 

あつこさんは沖縄の古酒が良いという。東京生まれですがご両親は沖縄出身だそうで、ウォーキーズ号には沖縄の泡盛の酒ビンとシーサーの置物があります。漢字で『節水・節電』と書かれたステッカーと共に英国唯一のナローボートだろうと思います。こちらの女性向けの軽いお酒ではサイダーで割るPIMMS、コーヒー豆のお酒TiaMarryがお薦めとのことです。

 

お酒の話をしながら、ウィルさんの杯が進みません。ステラ・ビールをちびちび飲ってます。ウィルさんの本名は、ウィリアム・モスさんで、英国軍に18歳から55歳の定年までお勤めでだったそうです。その後コンピューター関連の会社社長をされて今は引退生活です。私からみれば頑丈そうなお体ももう3回心臓の手術をされていて、朝夕は奥様のスーザンさんに(生存)確認の電話をされているそうです。電話がないとスーザンは生命保険証を出してくるんだ、と冗談言ってます。

 

ウィルさんはあつこさんにも軍隊時代のお話はほとんどしないそうで、その経歴は謎に包まれています。どうもアフリカ、中近東の主だった国には駐在されていた(フランス語もエジプト語も出来る)ようで、私の想像によると、各国の軍隊の派遣教官(でも通常の陸軍や海軍ではない)みたいなお仕事じゃなかったのかと思いました。ナローボートの操船指導時の的確な指示と、笑顔で教えているのですが目が笑っていない厳しいお顔を見ると、当社の社長車の朴運転手(ベトナム戦争参戦)の時たま見せる、ただならぬ雰囲気を思い出すのでした。

 

『ナローボートの操船も人生も同じだろう。ゴー・ストレート(まっすぐ行け、ふらふらするな)だ』

子供が5人、孫が10人、41歳になる長男はまだ未婚で大変だ、皆俺の金を持っていきあがる。

『でも、それが人生で、それが幸せですよね』

その通り! 右手の親指があがりました。

 

『ナローボートに乗って運河をゆったり航っていると、人生で必要なものと不要なものが判ってくるんだ。ブッシュとブレアとアラファトを乗せてやりたいよ』

いいなぁ、ついでに金正日(キム・ジョンイル)もお願いしますよ。

『コイズミもな』

 


左下 Navigation Innのご主人マークさん

 

語り明かせば(明けてないけど)パブのご主人(Mr.マーク)がお土産にどうぞ、と絵葉書を持ってきて、今日はやけにサービスいいじゃない、とあつこさんが言ってます。パブの主人も怖い人ばかりじゃないようです。

まだまだいろいろ面白いお話をしたいのですが、明日は早いので...というより今日はとてもショックだったので、もう寝ます。

もちろん明日に続く。

Sincerely,

T.Butani  in  WoottonWawen


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